日曜の朝に

慶長度江戸城天守復元図
おはようございます。設計担当の高橋です。
今朝は晴天、日差しがまぶしい!!
さあ!12月となりました!この「日曜の朝に」3年目に入りました。今まで以上にパワーアップした「日曜の朝に」を皆様にお届けしま・・・・すと、持ちませんので、今までの通りゆるくやっていきます。
お付き合いのほど・・・・・
ということで今日は時間がありますので、先々週の続き「江戸城シリーズ」とまいります。
前回は江戸城天守は50年の間に3回建てられたとお話ししました。そのまず1回目の天守の話を・・・
この天守「慶長度天守」と呼ばれており、徳川家康によって建築されました。
竣工は慶長12年(1607)5層5階の屋根は鉛葺き、白漆喰塗籠の白亜の天守です。
富士の峰の白さと比較された文があるぐらいなので、当時としては斬新な天守であったと思われます。
それまでは豊臣時代は黒い天守が主流に対し、家康は新しい時代を象徴し、世の中に示すべく白い天守を建築したのだと。
今年修復が終わった姫路城が白い天守の現存のもの、また黒い天守は松本城や松江城の天守といえます。
復元図を載せますが、慶長度天守記録が少なく一番はっきりしていないのです。
この慶長天守は元和8年(1622)解体されました。
家康はこの天守解体の前、1616年に亡くなりました。次に将軍になった徳川秀忠は自分の代になり新たに天守を作り直したわけです。やっぱりお父さんとは違うのだということを世の中に示したかったのかと・・・などと思ったりします。
ということで江戸城の話はここまで。
今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
快晴の日曜日の朝、もう冬の朝です。
今、会社にてこのブログを書いております。
今日はホームオーナ様訪問ツアーということでこれからお客様をご案内いたします。
ということで今日は仕事なので、簡単なブログとさせていただきます。
ご容赦ください。
もう11月最後の日曜日となりました。
それは何を意味するかといいますとこの「日曜の朝に」始めて今日でまる2年間続けてきたことになります。パチパチパチ・・・
皆様にはどうでも良いことかもしれませんが、自分としては良く切れずにやってきたかと・・・・
来月からシーズン3に展開していきます。
期待しないで!今まで通りの感じでやって行きます。
それではこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
天守比較
おはようございます。設計担当の高橋です。
今日も曇り空の日曜日となりました。
寒い一日になるのでしょうか?
暖かい日と寒い日の繰り返し、私も先週は喉風邪を引き熱が出てりで、体調不良の1週間でした。
今もまだのどの調子が良くないです。
今日も時間的に余裕があるので、先週に引き続き江戸城の話をひとつ・・・・
先週、他の城と全く違う規模、大きい天守台石垣であるとの話をしました。
ということはその上に建つ天守は?
もちろん他の城より大きな規模天守となります。
現在、江戸城に天守がないことは皆さんもご存知ですが、250年の江戸世に天守が存在したのは、たった初めの50年だけなのです。江戸の人もほとんど知らないのです。
家康・秀忠・家光の3代の時、江戸幕府の権威を世に知らしめる必要のある時にそれぞれの将軍が、3回建てているのです。
50年の間に3回巨大建築物を建てているのも驚きです。
その江戸城天守の規模どのくらいであるか、他の城と比べてみましょう。
まず写真の一番右側が江戸城天守寛永度で最後の天守の大きさです。
一番左側は豊臣秀吉が建てた大坂城およそ30mあったとされています。
その右が世界遺産でもある日本が誇る名城 姫路城31.5m。
その右は名古屋城天守です。
その天守よりも高い44.8mある天守が江戸城なのです。
いかがですか。
技術的にも豊臣時代から徳川時代にかけて技術の進歩もあり、徳川時代にはより高い天守が建築できるようになってきました。
この写真右の向かって時代が新しく、建物の形状も変わってきているのがわかるでしょうか?
次回はそのあたりの話をしていきましょうか・・・
ということで今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に

江戸城天守台
おはようございます。設計担当の高橋です。
今日の日曜日、先週に引き続き雨の日曜日となりました。
外に出たら暖かさを感じたのですが・・・今日は寒いのか寒くないのかどうなのでしょう。
今週は内覧会等イベントがなく落ち着いてブログを書いているところです。
久しぶりに江戸城の話に触れてみましょう。
前回までは江戸という都市の話をしました、いよいよ城内に入ってみましょう。
お城といえばシンボルの建物は「天守」となります。よく天守閣といいますが、建築的には天守といいます。
現在、江戸城天守は皆様ご存知の通りありません。
明歴3年1657年以来ずっとないのです。
今は天守台のみこれも最後の天守が燃えた後再建されたものです。結局、必要なしとのことで上物は再建されませんでした。
最後の天守の石垣はこれより高かったとのこと。
今ある天守台もほかの城に比べかなり大きいです。子の石垣を見ても日本最大の城と感じることができます。
石垣の上にあがることができます。東京を内側から見るようでなかなかの眺望です。
写真の人と比較しても大きさがわかります。この江戸城天守かなり大きい城なのです。
さて次回はいよいよ天守の話に参ります。
今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。

江戸城天守台上から
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
朝から雨の日曜日気温もこのままとのこと・・・
今日は内覧会の担当とお客様との打合せがあるのでこのブログ社内で書いています。
ということで業務に途中であります。
毎度のことで申し訳ございませんが、今日も簡単にさせていただきます。
来週は時間が取れそうな感じです・・・と思います。
今日の内覧会はオープンですので予約なしです、気が向いたらお越しください。
詳細はこのホームページに掲載しています。
本当に簡単ですが、この辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計の高橋です。
澄み切った空、下弦の月も白く冴え、霜月11月の始まりにふさわしい日曜の朝となっています。
もう晩秋というよりは初冬のような空気感、昨日の焚火の匂いが朝露とともに降りてきた空気の匂い、何とも言えない季節感を今朝はいただきました。
なんともう11月、今年もあと2か月となりました。
まだまだやること沢山!!今日もお仕事へ行ってきます〜。
このブログも最近は江戸城の話?やっていません。
申し訳ございません。
中々余裕のある日曜日がないもので・・・・
というわけで今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に(後出し)
おはようございます。設計の高橋です。
申し訳ございません。
今回の「日曜の朝に」は諸事情があり、後出しとなってしまいました。
忘れた訳ではないのですが、アップできない状況でこのようになった次第です。(だだの言い訳ですが・・・)
今回のところはご容赦ください。
失礼いたします。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今日は良い天気なのでは?
曇り空の朝です。
この先どうなるのか・・・後で天気予報を見なければ。
というのも、今日は完成内覧会の担当になっていますので、これから仕事に出かけないといけません。
ということで、今日は「日曜の朝に」簡単にさせていただきます。
今日は江戸城の話まではいけません。
ご容赦ください。
この辺で失礼いたします。
本当に簡単で・・・
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今日は雨模様の朝、空気に湿り気がありますが、夏のような不快なジメジメ感ではなく、深呼吸したくなるような空気。
もう秋の真っ只中という日曜日を迎えています。
江戸城の話を続けております。
先週は江戸城=江戸シティの範囲の話をしました。
今の東京シティに比べ非常に狭いエリアです。
そこに当時世界的にも人口の多い都市の一つと言われているだけの人が生活をしていました。
その実態はほかの都市にない不思議な内容の街なのです。
江戸の人口構成は、武家とその家族など50%、その残りが町人(一般人)という構成。(バランス悪いですね)
そして江戸の地域の使い分けは武家は70%を占めています。他に寺社地が15%。
他の残り15%が町人の住んでいる面積となります。(狭い!)
場所は神田から隅田川にかけてのエリアが主な地域となります。
やはり川に近い水害が頻繁に起こるエリアになっているようです。
当然、過密度はかなりっだったといいます。
その割には街は、ひどく荒れてはいなかったようです。
当時のパリの汚さと比べて断然良好だったそうです。
日本人のモラルは大したものだと思います。
そんな江戸シティのランドマークである、「江戸城」次回からいよいよお城の話でしょうか・・・・・・気分で決めます。
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
江戸城城郭
おはようございます。設計担当の高橋です。
秋晴れの朝です。
気持ちの良い朝です。
昼間は日差しが強く暑くなりそうですが、外に出かけたくなる天気ですね!
今ままでこの「日曜の朝に」で紹介したところを訪ねるのも良いのでは?などと・・・・あっ覚えてないですよね〜
先週は今の江戸城になる前の話をしました。
そして徳川家康が豊臣秀吉の命令で引っ越し先に江戸に入ってきました。
これがいまの東京の始まりです。
まず江戸城の規模の話をひとつ。
江戸城城郭は今の東京で言いますと、東は隅田川、北は神田川、御茶ノ水、飯田橋の外堀跡、東は四谷、赤坂溜池、南は虎ノ門、新橋といったところが、境目です。
江戸シティは今の東京に比べ非常に狭かったのです。
新宿・渋谷も江戸ではありません。
時代劇でよく罪人に言い渡される「江戸市中処払い」は先ほど言った江戸から外れて暮せということです。
江戸は城郭都市ということです。
実際に、境界出入口には門があり夜には閉められていました。
このようにして管理されていて、今より狭いところが「江戸」なのです。
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。