「決して派手では無いけれど、生まれ育った場所で、健康で豊かなこれからの暮らしと趣味を楽しみたい」と願っている、“本物の価値がわかる大人たち”のために、中野で半世紀以上培ってきた知識と経験を有する技術者集団が、 直接お客様の要望を丁寧に汲み取り、自然の光と風を取り込んだ、都心の中でも木の香りに包まれる、きれいな空気のやすらぎの空間を提供し、建てた後もずっとお客様と寄り添って行くことを使命としている住宅会社です。

社長物語~あゆみ~

 

history

 

~いやしろの住まいに出会うまで~

 

建築を志す

 

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幼少期の私です

もともと模型をつくったり、モノをつくることが好きだった私が、建築の道を志すのは、今にして思えば当然ともいうべき流れでした。
父が建設会社を経営しており、いずれは父の会社を継ぐつもりでした。父からもそのように言われていました。高校生になった頃には、すでに建築の道へ進むことを決めていました。大学は迷わず建築学科へ進学しました。

アレルギー喘息とのたたかい

 

太陽の下のヨット部でも喘息は治りませんでした

太陽の下のヨット部でも喘息は治りませんでした

海が大好きな私は、大学ではヨット部に所属。

体育会系で練習に明け暮れる毎日でした。若さの真っ盛りで、体力にも自信があり、すっかり喘息の気があったことを忘れておりました。

ところが、大学1年の冬、油壷にある大学の合宿所に宿泊した時のことです。古家のせいか埃がひどく、まるで煎餅のような布団を敷く際は、視界が1mくらいしかないような有様でした。嫌な予感は的中し、夜中に喘息の発作を起こしました。

ゼーゼーとまともに息ができない状態で、歩くことさえままならず、近くの病院に緊急入院するハメに…。あの時の発作の苦しさは、今も忘れることができません。

健康の大切さを、身をもって感じた機会でもありました。

 

ゼネコン時代

 

大学卒業後、大手ゼネコンに入社。大阪を皮切りに、仙台、長野、名古屋、四国と、転勤や長期出張などで全国を転々としました。扱う建物はマンション、タウンハウス、ホテル、学校など大きな建物がメイン。

現場管理を4年、設計を4年担当しました。当時の私は、設計士として「いい建物をたてたい」という思いが強く、お客さまの目線という発想がまだありませんでした。

 

いよいよ小河原建設へ

 

昭和62年12月、満を持して小河原建設に入社。

大手ゼネコンの一サラリーマンから、いきなり経営側に立つことに。当時、社員は2名しかおらず、戸惑うことも多々ありました。当時の小河原建設は不動産がメインで、私が入社してはじめて設計事務所登録を行いました。

その頃の建築部門の売上は年間800万円ほど、管理している建物の修膳が主でした。私自身は営業を行うのも初めてで、本を読んだり、セミナーに行って知識を得るなど、とにかく無我夢中でした。

当時の新築の建物は、合板や接着剤などをふんだんに使い、化学物質で目がショボショボしたり、咳が出たりするような代物でした。しかし、新建材全盛の当時は、当たり前のこととして、まかり通っていました。

お客さまから「新しい家の臭いがきつい」と言われても、「それが新築らしくていいんですよ」と真顔で答えていたほどです。

 

業務拡大へ

 

大手ゼネコンをやめ小河原建設に入ったからには、「事業を拡大して、会社を大きくしていきたい」という想いが強くありました。はじめは不動産+建築という両輪でうまくいくものと思ったのですが、なかなか思うようにはいきませんでした。

建売、注文住宅、建設事業―営業はすべて自分で行い、オールマイティプレイヤーで何とか頑張っていました。しかし、一人の人間が兼務するにも限界というものがあります。

現場が忙しくなればなるほど、クレームが出たり、やり直しになったり…問題を抱えながらも、なんとか前に進む日々でした。当時は建売住宅を数多く扱い、時代の後押しもあって、売上も5億に到達していました。

 

東大泉事件

そんな時、事件は起きました。

ようやく建物が完成し、お引渡しとなった数年後に、今度は雨漏りが発覚。ルーフバルコニーのあるデザインで、雨漏りしやすい間取りだったのです。

お客さまには1度引っ越してもらい、工事をやり直しました。
この東大泉の件で、トップダウンが徹底されていなかったことを痛感しました。何かあってから慌てて対策を講じるが、その場しのぎのため、同じことがまた起こる…。

現場監督が現場のチェックをしないまま作業を進めてしまっていたことが、主な原因でした。忙しさにかまけ、やらなければいけない管理者の仕事ができていなかったのです。自分の甘さからお客さまにご迷惑をかけることになり、涙の出る想いでした。

 

新たな気づき

 

そんな頃、あるコンサルタント会社の勉強会で、頭をガツンと殴られるような気づきがありました。

東大泉の建売事件が起こった本当の原因は、社長である私が、社員ひとり一人ときちんと関わっていなかったことに端を発していたのです。自分の都合で仕事をしていたのは、私自身だったのです。

いくら「お客さまのために、いい建物をつくろう!」と思っても、それが社員や現場で作業をするスタッフに伝わらなければ、何の意味もありません。

営業、設計、現場監督、職人…家づくりに関わる、すべてのスタッフの想いが一つにならなければ、いい家は建たない。いい家を建てるには、現場管理をきちんとしなければならない。やはり現場は大切。社長である私が率先して、もっと現場に関わるべきだった。

お客さまに大変なご迷惑をおかけして、ようやく気づいた真実でした。

 

社員からの反発

 

その後、20名ほどいた社員のうち12名が次々にやめていくということが起こりました。
それまで、現場のことは監督にまかせっきりだったのに、急にあれこれと口を出されることに、かなりの抵抗があったのだと思います。「お客さまのためにいい建物をつくりたい。

そのためにも、社長自らが率先して現場に関わり、現場管理をしっかり行いたい」という私の想いが、社員全員にきちんと伝わらず、反発を招いたのです。

いま振り返ると、当時の私は社員の心をまったく掴んでいませんでした。

 

新たな仲間と

 

ほぼ総入れ替えといっていいくらい、社員が入れ替わりました。

新しい仲間も増え、次第に社員も小河原建設の家づくり、お客さまへの想いを理解してくれるようになり、社内の雰囲気もだいぶ変わりました。

私自身も、積極的に現場に関るようになり、社員とのコミュニケーションも図れるようになっていました。

 

別荘事件

 

そんなある時、友人が避暑地に新しく別荘を建てたというので、泊まりがけで遊びに行ったことがありました。

有名な建築家が手がけたという新築の別荘は、とてもお洒落なデザインで、誰もが羨むような素敵な建物でした。ところが、中に入ってみて驚きました。シナ合板を多く使った内装でしたが、室内は化学物質の臭いが充満していたのです。

ツンと鼻をつくきつい臭いと、目を開けていられないほどの刺激が、1階、2階、3階と、階段を上るごとに増していくのです。あまりの化学物質の刺激に耐えかね、その夜は一睡もできないほどでした。高原の爽やかな空気も、化学物質の臭いと刺激にやられてしまい、感じることができませんでした。

私は思いました。「この家でずっと寝泊りしていたら、本当に具合が悪くなってしまう」
以前、新築を建てたお客さまに「新しい家の臭いがきつい」と言われて、「それが新築らしいんですよ」と答えていたことを、本当に申し訳なかったと心から思いました。

どんなにいい建築家が建てた家だとしても、健康を害するようではどうしようもない。健康で気持ちよく暮らしてこその、家であると実感する出来事でした。

 

健康の大切さ、家の大事さをあらためて感じる

振り返ると、私自身アレルギー体質で、ずっと喘息と花粉症に悩まされてきました。

私だけでなく、妹も幼い頃から重い喘息で、苦しむ姿をそばでみていました。残念なことに、姪や甥にもアレルギーが出ていました。

そこで母と妹家族が住む家を建て替える際には、新建材といったものを用いず、自然素材を使用して家を建てました。新しい家で、妹家族が健康に暮らせるようにと願ったからです。

大学生の頃、喘息発作を起こした埃だらけのヨット部の合宿所や、友人のシックハウスの別荘のことなどを思い返す度に、健康の大切さ、家というものの重要性を再確認せずにはいられません。

お客さまにとって、家は一生一代の大きな買い物です。その家で健康に暮らせなかったら、何のために家を建てたのか、わからなくなってしまいます。

 

「いやしろの住まい」との出会い

 

健康と家との関連、重要性を感じていた頃、まるで導かれるように「いやしろの住まい」と出会いました。“お客さまにとって、一生に一度の大きな買物だからこそ、自然素材を使った健康に暮らせる住宅を”というコンセプトは、私が長年の間、思い描いていた家づくりそのものでした。

「是非ともこの目で確かめなければ!」私は早速、千葉にあるモデルハウスに足を運びました。

そうしてようやくたどり着いた「いやしろの住まい」に、一歩足を踏み入れた時の感覚は、今もありありと蘇ってきます。なんと表現すればうまく伝えられるでしょうか、まるで森の中にいるような感じといったらよいのでしょうか、とても清々しい空気感があたり一面に感じられるのです。

森林浴でマイナスイオンをたっぷり浴びたときのような、くつろぎの空間がそこにはあったのです。これが、新築の家の室内であるということを、私はにわかには信じられませんでした。

それまでも、自然素材を使った住宅は色々見てきましたが、体感してよさを実感できたのは「いやしろの住まい」がはじめてでした。癒されて、安全が守られて、健康が損なわれない―住まいとして必要な条件、大切なものが、「いやしろの住まい」にはすべて整っていまいした。

 

「いやしろの住まい」に住む人々の実感

実際に「いやしろの住まい」に住んでいるお宅にも、何軒かお邪魔させていただきました。

「いやしろの住まい」に住んでいる皆さん、どのご家族も本当は住宅会社の営業マンなのではないかと疑いたくなるくらい、とても丁寧に、そして熱心に、「いやしろの住まい」のよさについて語ってくださるのです。
お子さんのアトピーがきっかけで「いやしろの住まい」を建てたというお母さんは、私たちにお茶をすすめながら、「住んでみると、本当によさを実感できるんですよ」と、ニコニコと話してくれました。
モデルハウスで感じたことは、気のせいではない、そう確信がもてるようでした。

 

「いやしろの住まい」がもたらす絆

 

「全国工務店安心ガイド」を見て、小河原建設にお越しになったWさまというお客さまがいらっしゃいました。築80年の日本家屋にお住まいでした。長く住んだお宅で愛着もあったのですが、耐震性に不安があり、建て替えを検討されていました。ハウスメーカーなど回られたものの、ピンとくるものがなく、踏ん切りがつかないご様子でした。

「いやしろの住まい」のパンフレットや写真をお見せしたところ、一目で気に入ってくださり、小河原建設で建て替えてくださることになったのです。お客さまいわく、「ハウスメーカーでは、作っている人の顔が見えない。けれども、いやしろの住まいを見た時に、ピンときた」そうです。

ところが、基礎工事が始まって間もなく、基礎の配筋が、図面と違う仕上がりになるというミスが起きました。現場監督がすぐに気づき、素早く対応できたのですが、場合によってはクレームになってもおかしくない事態でした。けれども幸いにして、プランニングの段階から、何度も何度も打合せを重ねて、お客さまと信頼関係が出来ていたおかげで、事なきを得ることができたのです。

Wさまのお宅はまもなく完成ですが、楽しみにしていただいています。

 

本物の健康増進住宅を建てたい!

楽しく幸せな生活を送るためにも、健康であることはとても大切なことです。
聞くところによると、20年前はアレルギーの症状をもつ子どもは約20人に1人の割合だったのが、ここ10年ほどは約3人に1人の割合となり、生まれた時からアレルギーの症状をもつ子どもが増えているそうです。

私たちは食べるものや身に着けるものには、身体によいもの、自然のものを選ぶなどして、気を配ることができますが、住まいとなるとなかなか思い通りにはいきません。けれども、私たちが考える以上に、住まいの環境は私たちの健康に大きな影響を及ぼします。

口に入れるもの、肌に触れるものを、慎重に選ぶのと同じように、住まいも厳選する時代なのです。

心とからだの健康に大きな影響を与える住まいの環境は、とても重要なものです。空気環境のよくない家では、健康を害するだけでなく、家族の心もバラバラになってしまいます。

私たちが建てた家で、万が一にも健康を害するようなことがあってはならない。そんな想いから、小河原建設では「いやしろの住まい」をおすすめしています。

大切なお住まいを、設計、現場管理、お客さま窓口など、各部門の担当スタッフが、一丸となってプロデュースする…それが、小河原建設の健康増進住宅「いやしろの住まい」なのです。

家は一生一代の大きな買い物。だからこそ、建てたお宅で、健康に楽しく暮らしていただきたい―それが、私たち小河原建設のいちばんの願いです。

 

 

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